皆さんこんにちは。

富山市山室の学習塾「茗溪進学会」塾長の澤木です。
読んでためになり、子供たちが幸せになるヒント情報を発信します。
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身の丈とは
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大学入試の新共通テストで、英語の民間検定試験利用をめぐり混乱が続いている。

今回新たに萩生田文科相の「身の丈」発言が飛び出した。

大臣は「裕福な家庭の子は回数を受けてウオーミングアップできるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえればいい。」などと話した。

批判する側は「貧乏人はしゃーねーだろー」と取ったわけだ。

私はこの大臣を擁護するつもりはないが「身の丈」というものを自分なりに考えてみた。

「身の丈に合ったとは」とは分相応に合わせる事を言うが、これは決して経済力だけを指すわけではない。

よく“東大生の親の年収は平均よりいくら高い”とかという話を見聞きする。

そのため、学力の差=経済力の差 という図式が私たちの概念に定着しているのかもしれない。

しかし実際、私の友人や同窓生を見る限り、東大はじめ高学歴の人たちが育った家庭は、決して裕福な家ばかりではない。

むしろ普通の中流家庭かそれ以下の家庭で育った人が多いような気がする。

昨日、ノーベル田中耕一君が富山大学で講義をしたというニュースを見た。

彼が育った環境も、決して豊かとは言えない。

小さくして母親を亡くし、貧しい鋸の目立て職人だった叔父さん夫婦に預け育てられたのである。

逆に親が医者や会社経営をしている裕福な家に育った人はイマイチぱっとしないケースが多い。

私が思う「身の丈」とは「経済力の身の丈」ではなく、「心の身の丈」なんだと思う。

英検だが、確かに準1級以上は検定料も高いし、準会場では試験が受けられず、限られた公開会場でしか受検できない。

だからと言って、経済力が弱く、遠方の受検生にとって大きなハンデキャップになるかと言えば、そこまで大きいレベルとも思わない。

要するに、親として「きちんとした教育を子供に受けさせる意識があるかないか」、子供として「目標を持ってコツコツ努力をする意識があるかないか」が“心の身の丈”なのである。

どれだけ立派な家に住み、高い車に乗り、最新型のスマホに毎月何万円も払おうが、心の身の丈の低い人は、子供の将来への投資の優先度が低い。

私は英検の受検に必要な費用の差くらい努力と意識で十分カバーして余りあると考える。

そもそも私は大学入試はそれぞれの大学が独自に決めるべきもので、民間試験採用には疑問を持つ。

しかし、英検などが英語学習の機会を増やし、学力向上に与える効果はあるので日頃からコンスタントに受検する習慣を付けるよう塾生や父兄には啓蒙している。

塾でしている英検対策も追加の費用は1円も頂いていないが、9割以上の受検合格率である。

くだんの政治家さんは、舌足らずな発言をいちいちマスコミに揚げ足取られていないで、もっともっと若い人の可能性を伸ばす社会づくりに知恵を絞って頂きたいものだと思った塾長であった。

では、また。☆彡

◇◇◇茗溪進学会ニュース◇◇◇

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sawaki