皆さんこんにちは。

富山市山室の学習塾「茗溪進学会」塾長の澤木です。
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愛のムチは許されるか
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shorinji2世界的なトランペット奏者の日野皓正さんが、言うことを聞かない中学生に往復ビンタしたということの賛否が話題になっています。

ビンタされた中学生が全体の和を乱したのは明らかですが、世間では「これを認めれば体罰を助長する風潮になるのが恐ろしい」という論調が目立ちます。

こういうのを「正論」と言います。

「正論」とは言い換えれば“説明する必要がない理論”のことですから言うのは楽です。

その正論とは対極の「愛のムチも時には必要」というのは合理的な説明が必要ですから立場の主張は大変です。

“愛のムチ”が許されることかどうかについて皆様はどうお考えですか?

私は説明不要な正論だけ言って涼しい顔をしている人は嫌いなので、あえて「愛のムチ賛成派」の立場でこれを説明してみましょう。

これは武道との意義と関連付けて考えれば案外簡単に説明できます。

空手や柔道、相撲などの武道に限らずレスリングやボクシングなどの格闘技はスポーツという観点を離れれば、それは力で他人を制するための道具です。

絶対的に暴力がいけないものなのであれば、武道や格闘技など否定されるべきものです。

何か矛盾するような気がしますがここが大事なポイントです。

武道の一つである少林寺拳法の日本の創始者は宗道臣という方です。

宗道臣が残した有名な言葉に「拳禅一如」「力愛不二」というのがあります。

カンフー映画でおなじみの少林寺拳法は今から1500年前に中国河南省にある嵩山(すうざん)の少林寺にインドから渡来した達磨大師によって禅とともに伝えられました。

「力愛不二」(りきあいふに)という言葉を宗道臣はこう解説しています。

「力と愛は別物ではなく一つのものです。愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力です。」

「力愛不二」は武道の本質的な意義を明快に表す言葉として私の腑には落ちました。

教育者にとって、愛のないビンタは暴力ですが、何もできない愛情など無力ということなのです。

お子様を育てるための本当の愛とはいかにあるべきかを考える上で参考にしてもらいたいと思います。

では、また。☆彡

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